心の荷物

日々の日常に感じたことをただ綴ります

ここに来るのは久しぶり

以前ここに来たのは、登山の時だったってことは、今年の五月のゴールデンウィークの時だったんだ。

 

あの後、カテーテルアブレーションをして、かなりいろいろ変わってしまった。

よくなった二か月の後、最悪の二か月がきて、少しずつ持ち直してながら、運動もしていって・・・。

 

今だいぶんよくなってきた。

とはいえまだまだだろう。

 

あの頃の方がやっぱり元気だったかなぁ。

カテーテルアブレーションした直後だけ、すごく元気になったし、

頭もよく働いたから、後悔はしなくていいが、以前よりスタミナなくなったり、

しんどくなりやすくなったような気がする。

 

手術すればするほど、不具合が出てきやすくなるのね。

 

明日の予定は。。。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

メインは片づけと家の用事でした。

それは、子どももクラブがあったり、私もちょこちょこ仕事が入っていたり、

そんな訳で、家にいるのが中心になっていたのですが、

やっと明日は家族全員お休み(*^-^*)

 

それで、ハイキングに行こうと私が声かけしていたので、

いちおう、みなそのつもりでいろいろ考えてくれています。

 

体調考えたら、あんまり険しいコースは無理だし、

始め、次男が六甲山か岩湧山とか勧めてくれていましたが、

 

長男は、六甲山はドライブしながらほとんど上れてしまう…と

奈良か和歌山がお勧め("^ω^)・・・という意見でした。

 

三男は、お泊りしないんだったら行かないって突っぱねていました。

 

でも、長男は休み明日までだし…(-_-;)

 

わがまま言わないのってことで、

意見がまとまりますように<m(__)m>

 

 

久しぶりに片付ける気になった

不思議だなぁ〜

どうしてだろう


本を見つけた

読もうと思ってそのままになってた。



私という人間を作るためには、私らしい行動を起こさないと、という気づきがあったため、

自分がどうしようかと思っていたことを、本を通して少しだけ思い出した。


そして、ここはこう置いた方がいいんではないか、という感じで、本の置き方から文具やらいろいろなものの置き方まで、手を加えていった。


自然な形で頑張れた。

時間がおかしいことくらいだった。


もっと普通の時間に頑張れたらいいのになぁ〜(´ヮ`;)


次男も夜更かしして一生懸命頑張っていた。


卒論のことだか、塾の教材作りかは知らないが、、、。


そして同じ部屋に三男が熟睡していた。今日は電気を付けていても眠れている様子だ。


久しぶりにご飯とおかずを食べてもらった。本人うどんがいいと言っていたが、同じものばかり晩御飯に食べさせるのもなぁ、、、(/_;)


ご飯はお粥にした。おかずはほんの少しだけにした。


それでもその後はよく眠れていた。

やっぱり食べると人は疲れるんだね〜。

あまり優しくなれなくて

どんな母親、どんな家庭がいいか、

そんな理想論ほざいてる場合じゃなかった。

 

自分がもともといた家庭が悲惨なら、

やっぱり同じようなことを繰り返すものだ。

 

アダルトチルドレンなのなら、

機能不全家庭なのなら、

やっぱり同じようになっていく。

 

でも、なぜ、少し自分の頃よりもマシになったのか・・・。

それは、主人の家系がまた私の父親の家系とは全然違っていたからにほかならない。

 

私も、いろいろ技術や経験をさせてもらったからに他ならない。

自分の力だけでは、えらいことになっていく。

 

いい人間として頑張ってきたつもりだった。

でも、とんでもなかった。

 

こんな体になってなおさら、自分の小ささがよくわかる。

 

そんな悲惨な状況であっても、

一生懸命ごはんを作ったり、

それなりに出来ることをしていれば、

それで、この家族のこの家のサポーターにはなれる。

 

ほんの微々たるものかもしれないが、

邪魔ではなく、立派な働き手として動けるありがたみ。

 

そのことに感謝しよう。

いいところを見ていこう。

 

自分の悪いところを許さないから、

悲惨になっていく。

 

自分の悪いところ、イコール過去に受けてきた傷、経験、

屈辱的なこと、許せなかったことなど。

 

 

それを受けてれて、愛していこう。

 

 

そこから、すべては始まっていく。

アキレス腱が切れた後もなかなか普通に歩けなかった。

 

走るなんてとんでもなかったんだから・・・。

 

 

少しずつしかよくならない。

少しずつでいい。

 

でも、方向性は大事。

どうなっていこうとしてるかは大事。

 

毎日一冊ずつなんて

なんであんなこと言ったんだ。

不可能だろう。

長男の言葉にそう思っていた。

 

でも、あの言葉の意味を今朝、言ってくれた。

 

「一日一冊ずつ、要るか要らんか、本に目を通してる?」

と・・・。私は、そんなことできるはずないと思っていたから、

していなかった。

 

 

でも、要るか要らんかというよりも、買った本を有効にするための行動だったんだ。

たくさん買いすぎた本。

本当は全部持っていてはいけない。

 

でも、少しでもいると思ったらもっていていいと、そこまで言い切ってくれた。

 

なら、なんのための一日一冊かというと、整理してないからそんなこと言ってたらしい。自分で何がどこにあるかもわかってないからだ。

 

意識するようになったら、自分で整理するようになる・・・

そう長男は言った。

確かにそうかもしれない。

 

 

なんでも、本質を見抜く我が子。

 

三人ともそうだ。

次男だって、今日からおばあちゃんの家に片づけに入ってくれて、頑張ってくれてる。

夏休み前から言ってくれていたが、なかなか実現しなかった。

おばあちゃんがしんどかったり、いろいろあった。

 

それがやっと今日実現したんだ。

記念すべき日だよね。

 

 

杭を打たれたらどうなるか

叶えたかった夢

 

知ってほしかったね。

人を殺すとどうなるか。

物理的じゃない。

心理的に。

私が母に何をされたか。

そして、それをすると人はどうなるかを知ってほしかった。

 

それがどんなに人を傷つけ、その人がどういう気もちになって、

どうなっていくのかを知ってほしかった。

 

心からそのことが理解できれば、

人は、絶対変われるからだ。

今までと同じことはしなくなる。

 

もともとどういう人だったのに、どんな風になってしまったか・・・。

 

杭を打たれると人と関わりたくなくなるから。

人が信じられなくなるし、そこにいたくなくなるね。

いてもたっても居られない時もあるね。

 

それはある意味、居ないのと同然だよ。

そうやって消去するのが目当てなんだろうね。

自分がのし上がれるから。

イエス様がそうやって追いやられたように・・・。

 

 

杭を打った人は、バンバイヤーめーと

駆除するために打ってるから、悪意ではないのかもしれない。

 

でも、こちらには悪意としか見えないから。

 

私は、一目見た時から察知していた。

そして、兆候を感じていた。

 

母のことは見てきたからね。

やっぱりあるんだよ。同じようなにおいがね。

 

そして、やっぱ根っこにあるものもよく似てるね。

うまく気がつかれないように隠してるけどね。

 

誰だって影の部分はあるよ。

でも、疎外されたくない繋がりってあるじゃない。

それをやってくれたんだ。あの人は・・・。

 

そして、彼はずいぶん心配していたな。

あの夢を見た次の日、

私がもう絶望してないかを・・・。

彼との繋がりをあきらめてないかを・・・。

 

あの夢も一人で見たんじゃないんだね。

彼も知ってることだったんだ。

今に続く現実なんだから。

 

彼と私の母がつながっているという事実を。

彼は、昔に切れてしまっていた私との繋がりを求めてくれていたが、

なかなかうまくはいかなかったな。

 

別に私は私ででいいんだけど、

やり方が問題なんだな。

貶めるようなやり方してくるからな。

 

今の私の長男も悲惨だな。

まさにそんな感じ。

あまりいい状態ではないかもね。

私もこの頃元気になったおかげで、かなり努力もできるようになってきたけど、

まだまだよ。

 

 

屈辱を屈辱で終わらせない力

もし、私に力があるとしたら、屈辱を屈辱で終わらせない力だと思う。

その力は、たとえ、何年もかかっても実現する。

かかった年数が長ければ長いほど、すごい力を発する。

 

その屈辱は、必ず、前の人のしたことを超えて、

もっと偉大なことするようになる。

 

前の人も以前の私を超えているが、私は、その人のしてきたことを更に超える。

それを実現する時はもうそんなことはどっちでもよくなる。

 

成功は結果にあらず、

プロセスに中にある。

 

プロセスがいくら苦しくとも、

成功をつかんだ時には、そのプロセスはすべてこれからの持続するための動機となる。

ガソリンとなる。原動力となる。

 

そのつかんだものの貴重さがわかるから、

本当にそれを実現するための努力を惜しもうとは思わないのだ。

 

どんなに失敗したようにしか思えなくても、どんなに誰かが自分の成功を望んでなくても、それは成功のための足かせには一切ならないというのが、

私の今回の経験での結論だ。

 

あのすごい口達者な人達でさえ、

あれだけ私の悪口を言っていたあの人達でさえ、

足かせにはならなかったんだ。

たったひとつ、あるとしたら、それは私の中にある躊躇。遠慮だけだ。

後、一人では無理ということだった。

主人と共に、誰かと共に、

歩んでいく道だった。

二人三脚で。

 

必ず、イエスは私を起こしてくれる。

倒れた私に手を差し伸べてくれる。

 

でも、私の一番の喜びは、

イエスに習うことなんだろう。

 

愛されたように、大切にされたように、

誰かを助けることが最大の喜びなんだろう。

 

それこそが、

屈辱を屈辱で終わらない最大の理由。

 

自分が一番その苦しみを知っているから・・・。

たとえ、サタンを退けても、

私は、それゆえ落とされても、

決してそこで命は終わらないことを知っているから。

 

イエスと共に復活するから。

それが私の決して揺るがない信仰。