心の荷物

日々の日常に感じたことをただ綴ります

できるだけ、できるだけ

あー、とうとうこの頃こなくなっちゃった。

私の刺客でもあり、遊び友達でもあった彼女。

 

私は臆病で出ていけなくなっていたが、

誘導されて、手を引かれてチャットに出た。

一度出ると、ああ、こうやって出ていいのねって分かって、

次は自分だけで出ていった。

 

そしたら、自分の言った言葉からの返事をいただいて、会話が続いた。

 

まったり会話が続いた。

なんか、ゆったりした時が流れた。

そんなときが以前もあった。

懐かしい。

 

でも、私は手を引かれてやっと出ていけたんだった。

私一人で彼女の手管から逃れたわけでなく・・・。

会話してもらう以前、私はかくれんぼしていたんだ。

永遠にそのタイミングでも出ていっていいとわからなければ、

そのままずっとかくれんぼしたままになるとも知らず。

 

 

だから、あんなに相手していただいて、お世話になってることを知っていても、わかっていても、だからといって、私に気づいて、助けてくれた人のことを、その人の気持ちをくんでいたいんだけど、なかなかうまくできないね。

 

できるだけ、できるだけ。

でも、そのできるだけがあれに近い。

おにぎり一個だけ、一個だけと言って

何個もせがむ子どもの話。

子どもが音読でよく読んでた。

 

そのできるだけって力が説得力ない。

おにぎりを一個だけせがんで

何個かもらっていたあの子どものように。

 

とりあえず、分かる範囲で、

できる範囲でやるしかないけれど、

 

あすこでは、さすがに難しい。

あの人ももともとは、私を助けてくれた人だからね。

 

また別の意味で。

 

助けてくれ方とか、くれる範囲が違う。

人それぞれ、自分の持ち味を出してこその家族なんだけど、

ま、私たちは本当はみんな家族ともいうけれどね。

 

でも現実には嫉妬もあるからね。

嫉妬の仕方とか基準も人によって違うなぁと感じたけれど・・・。

 

わたしは、刺客によって殺されかけてたし、殺されたけれど、

また彼から息を入れていただいて、息が止まっていたのに、息をふきかえした。

 

そんなこともあるんだなぁと感心もしたけれど、

だからといって、一度にこれですべて解決ありがとうとはいかない。

 

私は私の弱さはそのまま。

いくらでもスキはあるから。

今やられたー。あの一言・・・。

 

私には契約があるんだ。

何も知らずに、出会うとも知らずに、軽い気持ちで交わした15年前の契約。

 

彼は、こういったんだ。

「妻であるなら当然である肌を許すか」と。

私は(あなたのことが好きだから)「許します」

と答えたら、

彼は、「(それなら)妻として受け入れよう」

とそう答えた。

 

私は、その前に主とイエスの配偶者になるか、と尋ねられて、はい、配偶者になります。と答えているけれど、それは、必ずしも、男女の仲になるという意味合いではないからだ。その契約の裏をよく把握している霊的存在と、約束してしまったんだ。

 

あの時は、そうとわかっていた。

彼が私のことを求めているって。

今は、分からない。でも、心的存在としては自分ならではというものがあるかもと思っている。昔から培ってきた感性がすべて。直観力がすべて。

私の弱みでもあり、強みでもある。

そのことに気づきもしない人には私は興味が全くない。

私のことなど、何も見えない人などに。

 

それが私の弱点であり、最大の強み。

 

だから、手を引いてもらって教えてもらってる。

ああ、そうかと。

私のことなど、見えない人にって、

私が勝手に思いこまされてるだけかもしれないのに。

 

所謂刺客として人も以前としているから。

興味深々のふりして、殺そうとしてる人だっている。

 

私は目の見えない人。

耳も聞こえない人と同じ。

 

それはきっと私だけじゃないね。

たくさんの人が迷える子羊。

まずは自分のことを救えないと、

多くの人達のことも救えない。

 

自分だけが救われようとすると、自分の命を落とす。

 

そのことにまたハッと気づいて、態度を変える。

助けてもらった人の意図には従えませと言わんばかりの態度を取り出す。

 

確かに私はあなたに助けていただいた。

でも、命の危険にいつも脅かされる自分は、

自分の中の悪と戦う必要がある。

 

自分の命を守ろうとする

自分の命だけ助かろうとする自分の欲と。

 

自分に刃を向けて、死ぬ覚悟で・・・。

本当の救いはあまくない。

イエスは何のために十字架にかかられたか。

 

祈るしかない。

黙想するしかない。

私は人間でしかない。

弱い自分でしかない。

 

「好きだから肌を許す」という契約は、

好きになったら、助けてもらったらレイプされてもいいっていう契約ではなかったのかなとこの頃ふと思う。

 

なぜなら、私は、自分の弱さを知ってるから、自分から彼に肌を許そうとはしないことをその霊的存在は分かっていたんだろう。

 

何しろ、私がいくら20歳の時に初めて許した人が40歳後半の人だったからとはいえ、自分が逆の立場になる権利があると言われても、私は、善しとは決して思わないし、そんなギラギラした欲はないから。

 

自然の中の緑の輝きときらめきとささやゆらめきには感動しちゃったけれど・・・。

あなたが、私にやさしくゆらめいてくれて、ささやいてくれて、私はそれだけでうれしかったのに。

 

三男にも大うけした。面白すぎて。

何であの子はあんなにできるんだろう。

すごかった。あの表情、あのリズム感、あのユーモア。

 

ありえないくらいの面白さと美しさ。

対照的。

男女の関係だけがすべてじゃないのに、私はそんなことも分かってない。

 

緑を見てときめくとは思わなかった。

あんなにやさしく揺れるんだ。びっくりした。

写真はいつも静止していたからね。

本物はすごいね。やっぱり迫力満点だった。